科学と哲学のブログ

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デネットのクオリア消去主義(1) – Quining Qualia (1988)

ダニエル・デネットの論文、Quining Qualia(1988)の読書ノートその1です。心の哲学において、クオリアという概念を否定する議論が展開されています。


1. Corralling the Quicksilver (水銀を囲い込む)

デネットクオリアというものは存在しないと主張する。この主張はより具体的にはどのようなものなのだろうか。

デネットは意識経験の実在性を否定するわけではない。デネットが主張するものは、意識経験がクオリアが特別であると考えられてきたような仕方で特別であるような性質は持っていないということ、である。

誰かが何かが、ある在り方であるのであって別の在り方であるのではないということを経験するときはいつでも、そのときに彼らの中で何かが起きているというなんらかの性質によって、そのことは真である。しかし、その性質は、伝統的に意識に対して帰属させられてきた性質とは全く異なっているので、それらの性質のいずれをも、長く探し求めていたクオリアと呼ぶのは非常に誤解を招きやすいのである。クオリアはなんらかの定義するのが難しい特別な性質であると思われている。私の主張は、意識経験が、クオリアが特別であると考えられてきたような仕方で特別であるような性質は持っていないということである。(Quining Qualia, Section 1)

デネットのこのような主張に対する標準的な応答は、一部の人は意識経験のあり方に混乱させられたり熱狂させられたりしてしまうけれども、それでも、穏当で無邪気な"主観的経験の性質"という概念は確かに安全だ、というものだ。しかしデネットはこの応答を自己満足の承認であると批判する。デネットはこの無邪気な想定こそ投げ捨てるべきものであるとする。現代の生物学者は、エランビタール(elan vital, 生の躍動)という無邪気な概念に訴えて問題ないとは全く考えない。デネットの目的は、クオリアも同じように扱われるようにすることだ。

クオリア(あるいは"生まの感覚(raw feels)"や"現象的性質"や"主観的かつ固有の性質"や"質的な特性")について、彼らがいったい何について話しているのかを誰もが知っているという標準的な前提を持って話すことを不快なものにしたい。(Quining Qualia, Section 1)

デネットの主張は、クオリアという理論的概念が曖昧だというものではなくて、クオリアという概念が純化していると思われている前理論的な(あるいは直観的な)概念が完全に混乱しているというものだ。

デネットは目的は前理論的で直観的な概念が誤っていることを示すということなので、彼が提示していくものは、厳密な論証ではなく、15個の直観ポンプ(直観に訴える思考実験)である。