科学と哲学のブログ

哲学、科学について書いていきます

Antonio Damasio "Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain"

日本語訳も出ている。元は『生存する脳―心と脳と身体の神秘』というタイトルで出版されていたようだが、原題通りの『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』というタイトルで復刊されたようだ。アメリカの友人が送ってくれたので、自分が読んだのは原著の方である。著者はニューロン科学や心理学の教授である。脳を損傷した患者の臨床研究に基づいて認知機能に関する仮説が展開される。自分の興味は哲学の文脈での心身問題、心脳問題にあるので、著者がデカルト批判に踏み込む最後の章についてまとめたいと思う。

心と身体の関係はどのようなものかという問いは、哲学で心身問題と呼ばれる歴史のある問題である。最近でも脳科学認知科学人工知能に絡んで議論されている。この心身問題に対して、デカルトが源流となっている二元論(dualism)という考え方がある。これに対して著者が物理主義的な立場から批判するという内容である。

著者が批判するのは、デカルトが主張した心と身体を完全に独立した存在とみなす純粋な二元論だけでなく、二元論の亜種、すなわち、心と脳がソフトウェアとハードウェアのような形でのみ関係しているとしたり、脳が生きていない限り心は存続できないという関係はあるとしたりといった程度の、心と脳に弱い関係のみがあるとみなす考え方も含まれる。

ここは余談になるが補足しておく。著者のラベル付けは、哲学での標準的なラベル付けとは少し違うように見える。著者の言う心と脳がソフトウェアとハードウェアのような形でのみ関係しているとする考えは機能主義と呼ばれるもので、二元論ではなく物理主義の一種である。ただし機能主義が二元論の影響下にあるという著者の主張は十分に理解できるように思う。自分独自の見方なので的外れかも知れないが、機能主義の背景には二つの思想があるように思う。この機能主義の立場からは、仮に心の機能を持つコンピュータを構成できたとしたら、そのコンピュータに心があると言えることになるのであるが、機能主義者はなぜそう考えるのか? 一つの思想では、心に関する言葉の論理がそれを保証していると思うからだ。もう一つの思想では、何らかの自然法則(既存の科学的アプローチでは解明不可能であっても良い)がそれを保証すると思うからだ。前者はライル的な論理的行動主義の亜種であるが、後者は二元論の亜種である。哲学者ではない科学者が機能主義者であるときには、後者の思想に基づいている、ように自分には思われる。

著者の議論に戻る。デカルトは「我思うゆえに我あり」と書いていて、考えるという活動を身体の活動とは別次元のものとして描いている。これが二元論の本質的な特徴である。しかし著者によれば、生命の進化の歴史を辿れば物質からできた原始的な生命から進化を始めて人類が誕生したのであるから、考えることよりもまず物理的なもの、すなわち身体が先にあったはずである。従って、考えるという活動は物質の構造や作用から作られているはずである。

デカルトが間違っているという著者の論拠はこれだけで、この議論は心の哲学としては拍子抜けではある。結局著者は、物質には還元されない心の出来事やら状態やらがあるような気がするというデカルト的直観と、経験科学とが矛盾するということを指摘し、それゆえ、前者の直観は放棄しなければならない、ということを主張している。心の哲学においては、このような矛盾の存在は当然明らかであって、どのようにこの直観と矛盾を解消する説明をつけるか、というのが心身問題である。著者の議論が哲学上の心身問題に回答を与えているとは到底思えない。

しかし著者の目的は哲学的議論に決着を付けることではなく、二元論が科学者や医者などの哲学者以外の人々にも浸透してしまった結果生じた悪影響を解消することである。この点で著者の議論は極めて妥当であると自分には思われた。

悪影響の一つ目は、認知科学の発展を妨げていることである。20世期中期頃まで流行った、コンピュータ認知科学(コンピュータで脳のモデルを行えば、心を構成することができるとする考え方)は、脳内ニューロンの構造、物理、化学を無視して良いと考えた。著者はこの発想は科学的に誤りであったとみなしている。上記の余談で述べたように、一般的にはこの思想は物理主義の一種とみなされるが、著者に言わせれば二元論である。またニューロン科学者が、脳内の出来事のみから心を説明できると考えてしまうのも、二元論の影響下にあるからである。心を研究する際、脳だけでなく身体全体や外界や社会との相互作用と言った系全体を考慮に入れるべきなのであり、初めから脳内の出来事に制限する必要はないし、それは不十分である。この全体論的な視点は哲学者Davidson流の物理主義と親和的で、自分としても同意できる。(ただし著者は心が脳から来ていることは疑っておらず、むしろ、なぜ系全体の中で脳が心に関係しているのかということを明らかにしたいと考えている。)悪影響の二つ目は医療である。身体の問題が精神に与える影響や、その逆に精神が身体に与える問題が軽視されるようになってしまった。古代ギリシャからルネサンス期までは主流だった精神と身体を同時にケアするような医療の伝統が失われてしまったのである。二元論は、肉体が滅んでも精神が不滅であるという考えによって生命の価値を過小評価することに繋がってしまった。

最後に、二元論批判は、人間の尊厳を軽視することにはならない、という点を著者は強調する。むしろ逆に、精神が、有形かつ有限で壊れやすい物質から成り立っているということを理解することは、人間の精神の価値を大切にすることに繋がるからである。

まとめると、心身問題に対する哲学的議論としては不満足なものであるものの、二元論は科学や医療への悪影響を与えていて克服すべきという著者の議論には大いに賛同できるし、著者の全体論的な物理主義にも十分妥当性があり、総じて自分は好意的な感想を持った。