科学と哲学のブログ

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説明ギャップとハード・プロブレム – Jaegwon Kim, philosophy of mind

Jaegwon Kim, "philosophy of mind" の意識と心身問題について書かれた章(チャプター10)の読書ノートです。


多くの哲学者は、次の形式の心身付随性(mind-body supervenience)を受け入れている。

もしある生物が、時刻tにおいて精神状態Mにあるならば、神経・物理状態Pが存在し、その生物は時刻tにおいて状態Pにある。そしてすべての(同種)の生物は、状態Pにあるならばいつでも、その時刻において必然的に精神状態Mにある。

言い換えると、それぞれの精神状態に、神経基礎が存在するという主張である。では、なぜこの心身付随性が成り立つのか? この問いは、説明ギャップの問題と呼ばれている。

上記の心身付随性の主張を支持しないとしても、もっと弱い主張として、何らかの心身相関があるという主張はより多くの人々が受け入れている。この場合にも、なぜその相関が成り立つのか、という形で、説明ギャップの問題は残る。

科学は心身付随性ないし心身相関を、説明しうるのだろうか?

説明ギャップの問題は、ハード・プロブレムとも呼ばれている。なぜハードと呼ばれるのかを説明するために、まずイージー・プロブレムから説明する。「どのようにして物理システムが、学習したり、記憶したりできるのか?」という問いは、イージー・プロブレムであるとされる。なぜなら、学習や記憶は、機能的概念であると考えられるからだ。つまり、学習や記憶という機能的概念には、職務内容(Job Description)を提示することができて、ある物理システムがそこで定められてたタスクをこなすことができることが、学習や記憶ができることの定義なのである。イージー・プロブレムを解決することは、機能的概念を定めるタスクを明確に定義すること、そして、その物理システムがそのタスクをこなすことができるかを判定することである。これは決して簡単ではないものの、どのようにしたら解決できるかの道筋は理解できるという意味で、イージーと呼ばれるのである。

一方で、どのようにして物理システムが意識の質的な状態を持つことができるのか(例えば、痛みを経験するなど)、という問いがハード・プロブレムと呼ばれる。なぜなら、痛みという概念は機能的な特徴付けができないので、痛みという概念そのものが、神経科学や物理・行動科学の中に現れないからである。確かに痛みにも、体の損傷を認識してその原因から逃れるようにするといった機能的な役割もある。しかし痛みの本質は、現象的な意識状態、つまり、痛みを経験するとはどのようなことか(what it is like to be in pain)である。これに科学的アプローチをすることができない。

創発主義(emergentism)は、ハード・プロブレムの問題意識を受けて、心理・神経相関は端的な事実(brute fact)として成り立っていて、ただ受け入れる他はないとする立場である。

しかし本当に、物理主義の立場から意識の現象的な性質を理解することはできないのだろうか? しばしば検討されるアイデアは、還元、あるいは、還元的説明を行うことである。これを次の節で検討する。

心の謎とは、実際のところ、意識の謎である。意識以外の心的概念、例えば、信念、感情、行為などは、機能的な説明が可能であり、それゆえ、物理主義の範囲に取り込むことができる。意識のうちの現象的性質(クオリア)だけが、同様の方法では解決することができるない。